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広島高等裁判所 昭和27年(ネ)69号 判決

控訴人 被告 前原進

訴訟代理人 角田好男

被控訴人 原告 沢原梧郎

訴訟代理人 黒木逸作

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とするとの判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は控訴代理人において控訴人は訴外野崎丈太郎から本件宅地の賃借権の譲渡(従前の地上権譲受の主張は撤回する)を受け該譲渡につき被控訴人の承諾を得たものであるが、仮りにその承諾を得られなかつたとするも罹災都市借地借家臨時処理法第四条の適用により被控訴人の承諾を得られたものである。即ち控訴人と右野崎との間に昭和二十一年八月六日本件宅地の賃借権譲渡契約が締結されたが右は同処理法施行以前の合意に因るものではあつても同法第三条所定の手続を経て借家人が取得した権利と同様であり、控訴人の既に有する借地権は同法の施行後も有効に存在しているのであるから同法施行により新に借地権を取得する必要なく、従て同法第三条所定の申出をする必要もなく同法第四条の保護を受くべきことが当然である。若し同条の適用あるためには同法第三条の申出を経なければならないものとすれば控訴人は前記借地権譲渡契約に基き譲渡代金を三回に分割払をなし最後の分は昭和二十二年三月金四千二百五十円を野崎に支払つているから右代金支払の行為は同人に対する借地権譲渡の申出に関する表意を当然に含んでいるので此の際右申出をなしたことになる。而して右譲渡を受けたことの通知は当時控訴人より口頭で数回被控訴人に申出でているが少くとも昭和二十二年三月十一日借地権届書(乙第四号証)に被控訴人の承印を受けたときになされていると述べ、被控訴代理人において右主張事実を否認する。控訴人が野崎丈太郎となしたと云う借地権譲渡契約書(乙第二号証)によれば該譲渡は被控訴人の承諾を得べきことを条件とせるもので被控訴人はこれを承認していないから該譲渡は効力を生じていない。尚乙第四号証の土地借地権届は転貸人欄に何等記載なく単に借地人として野崎丈太郎の記名ある借地届書を持参して承印を求めた為被控訴人は安心して承印したもので後から控訴人が勝手に転貸人欄に記名捺印して市役所に届出でたものであると述べた外は何れも原判決の事実摘示と同一なのでここにこれを引用する。

立証として被控訴代理人は甲第一乃至第十六号証(甲第九号証は一、二)を提出し、原審並当審証人西川修三(原審第一、二回)、野崎登志(原審第一、二回)、当審証人高田穣の各証言を援用し、乙第三号証の一、二の成立は不知なるも爾余の乙号各証の成立を認め乙第二号証、第七号証の三を援用すると述べ 控訴代理人は乙第一、二号証、第三号証の一、二、第四、五、六号証、第七号証の一、二、三、第八号証を提出し、原審証人高田穣、森田一雄、森元歳、原審並に当審証人西川修三(原審第二回)、野崎登志(原審第二回)、牧周市、当審証人円山俊郎、松原兼武の各証言、原審控訴本人訊問の結果を援用し、甲第三号証の成立は不知なるも爾余の甲号各証の成立を認め、甲第一、二号証、第六、七号証を援用すると述べた。

理由

呉市中通八丁目八番地の二宅地三十三坪八合一勺が被控訴人の所有であること、並に該土地ははじめ同所八番地宅地二百九十四坪二合九勺の一部であつたが分割により同番地の二宅地四十二坪六合二勺となり更に土地区劃整理による換地処分の結果三十三坪八合一勺に減地されたものであることは当事者間に争なく、控訴人が現に該宅地を占拠して家屋を建築せんとしていることは控訴人の明かに争わないところであるからこれを自白したものと看做す。而して成立に争のない甲第二号証に原審証人西川修三(第一回)の証言と本件弁論の全趣旨を綜合すれば被控訴人は昭和十四年十月二十一日訴外野崎丈太郎及び友重謙二を連帯借主として同所八番地の宅地五十五坪二合二勺(本件土地を含む)を被控訴人主張の約旨で同人等に賃貸したが右友重謙二は戦災後行方不明になり以後は右野崎丈太郎が単独で借主となつていた事実が認められ右認定を左右するに足る証拠はない。

仍て先づ控訴人は野崎丈太郎から本件宅地の賃借権を譲り受け該譲渡につき被控訴人の承諾を得た旨主張するので考えてみると成立に争のない乙第二号証、第四号証に原審並当審証人牧周市、野崎登志の各証言、原審控訴本人訊問の結果を綜合すれば控訴人は今時戦争中本件宅地上の野崎丈太郎所有の三階建家屋総建坪百五十坪の建物の一部を借り受けて住んでいたが該家屋は戦災で焼失したので終戦後右焼跡に家屋を建築する目的で昭和二十一年八月六日野崎丈太郎から地上権譲渡契約の名目の下に本件宅地を含む五十五坪二合二勺の土地の賃借権を金一万三千円で譲受ける契約を締結し、右譲渡金受領後は野崎において地主との間に控訴人名義の借地契約ができるよう斡旋すること等を約し、右約旨に従て控訴人は代金を三回に分割払をなし最後の分は昭和二十二年三月始め金四千二百五十円を支払つたが右野崎においては約旨に反し被控訴人に交渉して控訴人に直接賃貸するよう斡旋することをしないでいる中、同月十一日呉市の区劃整理の為借地権の届出の必要があり、控訴人は借地権届書を書き前記借地権譲渡契約書を添付して被控訴人に提出して野崎に賃貸せること相違なき旨の承印を得てこれを市役所に届出て受理されたこと、その後控訴人は該宅地上に家屋を建築する為その建築届に被控訴人の承印を受けようとして被控訴人に屡々交渉したが同人は右賃借権の譲渡につき承諾を与えず従て建築届にも承印をしなかつた事実が認められ右認定に反する部分の控訴本人の供述は信用し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。被控訴人は右賃借権譲渡契約は被控訴人の承諾を条件としているから被控訴人が承諾を与えない以上該譲渡契約は効力を生じないと主張しているがなる程前記乙第二号証の契約書中に若し地主が控訴人に借地権を与えない場合は野崎において譲渡代金を返還すべき義務があると云う条項があるが右は契約書の全文及び本件口頭弁論の全趣旨から見ても地主が承諾しない場合は折角借地権を譲渡しても実効がなくなる虞があるから譲受人に解除権を留保し該解除権を行使した際は野崎において譲渡代金を返還する趣旨であつて譲渡契約につき解除条件を附したものではないと解されるから右主張は採用できない。又被控訴人は右乙第四号証の土地借地権届の転貸人欄の控訴人の記名捺印は後から控訴人が勝手にしたものであると主張するが該事実を認めるに足る何等の証拠はない。只右乙第四号証によると被控訴人が控訴人の土地借地権届に承印はしているが右は前記認定のように野崎に賃貸せること相違なき旨の承印であつて野崎が控訴人に対し賃借権を譲渡したことを承認した趣旨でないことは成立に争のない甲第六、七号証や原審並に当審証人西川修三の各証言に対比して明白であるから右乙第四号証は被控訴人が右賃借権譲渡につき承諾を与えた証左とはなし難い。

然しながら此の点につき控訴人は罹災都市借地借家臨時処理法第三条第四条により当然被控訴人の承諾があつたものと看做さるべき旨主張するので考えてみると、前段認定のように控訴人が戦時中本件土地上に在つた該土地賃借人野崎丈太郎所有の家屋を賃借している中戦災に遭ひ、終戦後右焼跡に家屋を建築せんとして同法施行前である昭和二十一年八月六日右野崎丈太郎との間に本件宅地の賃借権譲渡契約を締結し、同年九月十五日同法が施行されその後昭和二十二年三月右譲渡代金が完済されている。同法第三条に所謂賃借権譲渡の申出をなし他の者に優先して相当な対価で右賃借権を譲受けることができると云う場合には賃借権者が相当の対価で譲渡することを承諾した場合を含むこと勿論であるから本件のように同法施行期間中である昭和二十二年三月に譲渡代金を支払つて契約が履行された場合には該譲渡の合意は同法施行後も有効に存続していることが明白で同法第三条が認める譲渡と何等差異がないから同法第四条により該譲渡について賃貸人の承諾があつたものと看做されると解するのが相当である。而して前示のように控訴人が昭和二十二年三月十一日土地借地権届書に借地権譲渡契約書を添付して被控訴人の承印を受けた際には少くとも賃借権譲受の事実を賃貸人に対し通知したことになるから同法第四条所定の手続を了したもので控訴人は被控訴人の承諾を得て賃借権を完全に譲受けたものと謂わねばならない。

被控訴人は昭和二十三年九月十四日野崎丈太郎が被控訴人の承諾を得られないから譲渡不可能として右譲渡契約を解除したと主張するが前段認定のように同法によつて被控訴人の承諾は同法施行の日たる昭和二十一年九月十五日に得られたことになるから仮にその主張のような意思表示がなされたとするも譲渡契約解除の効力は生じない。

然らば控訴人が本件宅地を占有しているのは右賃借権に基くもので決して不法占拠でないから被控訴人の本訴請求は爾余の争点を判断する迄もなく失当でこれを棄却すべきものである。右と見解を異にしてこれを認容した原判決は取消を免れないから民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条を適用して主文のとおり判決した。

(裁判長裁判官 植山日二 裁判官 佐伯欽治 裁判官 松本冬樹)

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